そこで、収容二日目の12月15日、「山田梅二日記」は次のように記す。なお、 鈴木明氏が初めて発掘した「山田梅二日記」と、『南京戦史資料集II』の「山田梅二日記」とでは、表現にちょっとした違いがある。その違いの理由は今は明らかにできないが、ここでは後者に基づき引用を行っている。

捕虜の仕末其他にて本間騎兵少尉を南京に派遣し連絡す
皆殺せとのことなり
各隊食糧なく困却す

山田旅団長は二行目に「皆殺せのことなり」と記していた。この記述が日本軍の組織的殺害方針を示すものとして波紋を投げかけたのである。


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